ノート

ぼくは平賀隆志。但馬館の生徒会長だ。
平賀隆志十番勝負の第三勝負、今回はあまり語りたくはない話だ。もう勘弁してください。

平賀隆志、中学3年の秋。彼は自宅の自室で手紙を書いていた。宛先は藤堂克子である。律儀で妙に真面目な性格の平賀隆志は、自分と藤堂克子の仲を公にはしていなかった。生徒会や部活動の運営に対して、一般生徒に不公平感を与えることを避ける為である。
言うまでもなく、平賀隆志は個人的感情で特定の部活をひいきするような人物ではない。しかし、どこの世界にも穿った見方をする輩はいるもので、あらぬ勘ぐりや誤解を排除するためにも、個人的な交際は隠す必要があった。
と、平賀隆志は大まじめに考えているのであったが、実際のところは周囲にバレバレだったりするのも世の常である。それでも平賀隆志自身は隠し通していると信じて疑っていなかった。
登下校は別、校内で会っても目を合わせるだけ、帰宅すれば4人の姉がやかましくて電話も出来ない、そんな平賀隆志が唯一とれる通信手段が手紙であった。

「何やっているの?たかしちゃん。」後ろから4番目の姉が覗き込んでいた。
「うわぁぁぁぁ!」平賀隆志は驚いて紙と鉛筆を放り投げた。
平賀隆志の4番目の姉は気配が無くて、毎度平賀隆志をひどく驚かせる。階下から「隆志ーーー!!!」と怒鳴り散らす1番目の姉の方が余程タチが良いと平賀隆志は常々思っている。
「お風呂……。」4番目の姉は蚊の鳴くような声で言った。
平賀家では男が先に入浴する決まりである。長期出張が多い父は家に不在がちで、長男である平賀隆志が必然的に最初に入浴することになる。平賀隆志はそんな決まりはどうでも良いと思っているのだが、母と4人の姉がそれを許さない。一見すると男を立てているようで、主導権は完全に女に握られている平賀家であった。
「わかりました、すぐ入ります。」
「みんな、お風呂に入れなくて困っているから、早くね……。」
「姉さん、すみませんが「たかしちゃん」って止めてくれませんか。」と言いながら、平賀隆志は書きかけの手紙を、姉の目に触れないように一番近くにあったノートに挟んだ。
「はーい……。」
返事だけは殊勝だが、絶対明日も「たかしちゃん」と呼ぶだろう、と平賀隆志は半分諦めていた。

平賀隆志が書きかけの手紙の事を思い出したのは、翌日の1時間目数学の時間が半分ほど過ぎた頃であった。
――あれ?あの手紙、どこにやったっけ?
嫌な予感がする。手紙はノートに挟んだままだったのか、そのノートは何のノートだったのか、昨日の記憶をたぐり寄せた。あれはたしか……
――生物部のレポート用のノートだ!!
心の中で叫んだ。平賀隆志は生物部の部長も兼務している。生物部は部員の自主性を重んじ、活動時間は自由としている。その代わり週に2回、自分の研究の成果を記したノートを生物部顧問の教師に提出する規則であった。今日は火曜日でノートの提出日である。律儀者の平賀隆志がノートを提出していないはずはなかった。
――まさか、ぼくはアレを挟んだままノートを提出したというのか?
そんなバカな、自分はそんな粗忽者ではない。ノートを提出する前にアレを抜いたはずだ。しかし、ノートから手紙を抜いた記憶は全く無い。

平賀隆志は突然、机の中をガサゴソとあさり始めた。記憶は無くても、手紙は抜いた、抜いたはず、抜いてこの机の中に入っているはずなんだ、と祈るような気持ちで机の中の物を全て引っ張りだしている。
平賀隆志の席は視力の悪さもあって、前から2番目である。教壇で授業を進めている教師のほぼ目の前だ。しかし焦った平賀隆志の目に教師の姿は映らない。教師も平賀隆志の様子がおかしいことに気づいてはいるが、平賀隆志の鬼気迫る雰囲気に恐れをなして声をかけられない。
――無い!!机の中にもアレは無い!
それならば、カバンの中だ。カバンの中に決まっている、と授業中にも関わらず突然立ち上がり、教室の後ろのロッカーまでスタスタと歩いた。但馬館ではカバンは教室の後ろのロッカーに収納することになっている。
「平賀生徒会長が怪しい行動を取っている。」教師も含めた教室中の誰もがそう思っているが、今の平賀隆志に声をかけられる人間はいなかった。
教室にいる全員が平賀隆志に注目しているのに、本人は全く意に介さず、ロッカーをあさっている。
――無い。本当にノートと一緒に提出してしまったのか?
最悪の事態が思い浮かんできた。脂汗が額から頬を伝ってダラダラ滝のように流れる。
他人から見れば、たかが恋文の一つや二つなのだが、本人にすればまさに生きるか死ぬかの問題である。品行方正、沈着冷静、成績優秀で売ってきた自分が、アレを書いたなんて知られたら、身の破滅だ、と着席して頭を抱え込んだ。
さすがに教師も見て見ぬふりをしきれず、ついに声をかけようとしたその瞬間、平賀隆志は再び立ち上がった。
「先生、お腹が痛いので保健室に行ってきても良いですか?」
お腹が痛いというには、あまりにも力強く堂々とした口調であった。教師は黙って頷いて見送るしかなかった。

腹痛を理由に教室を出た平賀隆志が、もの凄い勢いで走って向かった先は保健室ではなく、理科準備室であった。生物部のレポート用ノートの提出場所である。運が良ければ、顧問の教師はまだノートを開いていないかもしれない。見られる前にノートを回収できれば、何の問題も無い。
平賀隆志は理科準備室の扉を勢いよく開けた。理科準備室には、空き時間の顧問の教師がいて、驚いた顔で平賀隆志を見ていた。「平賀君、授業中のはずだが……?」
「先生に許可取ってきました。」平賀隆志の言葉は答えになっているようで答えになっていない。
「このノート、ちょっと誤りがあったので、一旦返させていただきます。」
相手に有無を言わせない迫力でノートを持ち出した。
再び、廊下を物凄い勢いで歩きながら、ノートをくまなく調べる。顧問はノートを開いたのか?開いていないのか?もしも顧問がノートをチェック済みであるならば、生物部のレポートに対する顧問からのコメントが書いてある。そのコメントが有るかどうかを、始めに確認した。

”いつもながら、平賀君の観察力と洞察力の鋭さには感服します。”

コメントが……あった……。ということは、顧問はこのノートを見たということか……。平賀隆志は愕然とした。
その上、何度調べてもノートから手紙が出てくることはなかった。
――アレは没収ということか……。はは……、ぼくはもうおしまいだ。
平賀隆志は青ざめたまま自嘲的に笑った。

そして放課後。茫然自失の平賀隆志は、「生徒会長辞任」の言葉すら頭をよぎっていた。
気がつけば教室には自分一人。呆然としたまま、帰り支度を始めた。机からノートと教科書を出すと、机の奥にグシャグシャになった紙くずがあるのに気がついた。手を伸ばし、紙くずを手にした。
――もしかして、これは……。
期待しすぎずに期待して、ソッと紙くずを開く。紙くずは、昨日自分が書きかけた手紙だった。
「た、助かった……。」
平賀隆志は深い深いため息をついた。どういう経緯かは判らないが、何かの拍子に手紙はノートから抜かれ、机の奥でグシャグシャに丸まっていたようだ。さっき必死で机の中をあさっていたときには、気持ちが焦り過ぎて、机の中の奥までは目がいってなかったのだろう。
「本当に、助かった。」改めて声を出して、再び大きなため息をついた。
ノートに手紙は挟まっていなかった。誰にもこの手紙は見られなかったのだ。

平賀隆志は、絶対にノートに物は挟まないと誓った。

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