第10話 馬鹿

夏の駅伝大会から月日は流れ、季節は冬にさしかかっていた。
夏の間には倉鹿中が如月いるかと山本春海の話題でもちきりだったが、日が経つことに少しずつ話題に上ることは少なくなっていった。
短い冬休みでは二人が帰省することもないだろう、次に会えるのは春かな?、などと世間話のついでに軽く口にする程度になった。
みんな、遠くでがんばる友を思いながらも、自分たちの暮らしがあった。
家出した如月いるかが倉鹿に訪れ、それを追いかけて山本春海が倉鹿にやってきたのは、そんなある日のことだった。

如月いるかは太宰進と一瞬顔を合わせただけ、山本春海も挨拶もそこそこに如月いるかを追って倉鹿を出発した。
如月いるかの家出の理由も知らず、その後、山本春海と再会できたかも判らず、みんなの心配はつのるばかり。
「春海が追っかけているんだから、何とかなるだろ。」
太宰進の気休めのような真実のような言葉を信じるしかなかった。

山本春海が倉鹿を出発してから数日後、みんなの家に山本春海と如月いるかから、騒がせたことを謝る電話があった。
翌日の放課後、数日前に山本春海と太宰進らが話をした空き地に、そのときのメンバーが顔を揃えた。全員がお互いの顔を見合って、開口一番
「いるかの家出の原因、きいたか?」
その言葉を皮切りに、1人をのぞく全員が笑い出した。
「見合いが嫌で逃げたのに、見合い相手が春海だったなんてなー!!」
「いるかは春海から逃げて、春海がそれを追いかけていたんだろー?」
「お互いが見合い相手と知らないで家出するわ、追いかけるわ、」
「馬鹿だ、馬鹿すぎるーー!!」
ゲラゲラと声を上げ、腹を抱えて、地面に転げ回りそうな勢いで笑っている。
1人だけ、全く笑っていない人物がいた。大川博美だ。
大川博美は小さな声で「……じゃない。」とつぶやき、誰もそれに気づかないので、少し大きな声を出した。
「馬鹿じゃないよ!」
「ふはははは……、…へ?」
顔を真っ赤にして大爆笑していたみんなが、息を止めて大川博美の顔を見た。
「だって、好きな人がいるのに、どこの誰だかわからない人と結婚させられそうになったんでしょ!?そんなの絶対嫌だよ!
いるかちゃんも山本君も馬鹿じゃないよ!それだけ必死だったのよ!」
「博美、どうしたの?」
日向湊が大川博美の剣幕に驚いて言った。
「ごめん…、つい…。」
大川博美は我に返って、恥ずかしそうに下を向いた。
「大川の言うとおりかもしれないな。今だから笑えるけど、あのときは、逃げる以外に思いつかなかったんだろうな。」
太宰進が言った。
「俺としては、一言の相談もなく1人で逃げられた春海に、ちょっと同情するけどね。」
そう付け加えた。
「たしかに…。山本君に一言いえば、こんな大騒ぎにはならなかったよね。」
大川博美は肩を震わせた。それに気づいた日向湊が横目で笑った。「自分だって、笑ってるじゃん。」
「やっぱり、おかしい話だね。」
クスクスといつまでも笑い続けた。

その後、三々五々に帰宅の徒につき、家の方角が同じ大川博美と太宰進は帰り道が一緒になった。
「おれのこの殴られた左ほほはどうしてくれる。
まったくの殴られ損じゃないか。」
そう言って、すっかり腫れが引いた左ほほに手を当てた。
大川博美は前を向いて歩いたまま、小さく息を吸った。
「好きな女の子に、グーで殴られた気分はどんな感じ?」
声が少し上擦っていた。
太宰進は左ほほをさすっていた手を下ろし、自分の横を歩く大川博美を見た。
「ああ、大川は気づいてたんだっけ。」
大川博美は返事をしなかった。
太宰進はそれには構わず、言葉を続けた。
「好きな女の子じゃないよ。」

「好きだった女の子だよ。」
そして、もう痛くはない左ほほを一回なで、その手にカバンを持ち替えた。
「そう。」
大川博美が立ち止まった。
太宰進は2、3歩先を歩いてからそれに気づき、立ち止まって振り返った。
お互いに言葉が出ないまま、長いような短いような時間が流れる。
大川博美は今度は大きく息を吸った。
「太宰君、あのね…、」

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