第8話 ダイタン

如月いるかが東京に帰って半年が過ぎようとしていた。
山本春海が東京に行くために里見学習院を受験したこと、そして如月いるかが山本春海と同じ高校に行くために里見学習院を受験したことを、大川博美は太宰進から聞いた。
「春海と同じ高校に行きたいからって、あの里見を受けるなんて、驚かされたよ。」
と言った太宰進の表情は全然驚いてはいなかった。大川博美も驚かなかった。
「相変わらず、ダイタンな奴らだよな。」
そう言って笑った。
太宰進は今も如月いるかを想っているのだろうか?
大川博美がそれを尋ねることはなかった。未だに彼女は自分の想いを行動に示すことはなかったのである。
好きな人と同じ学校に通うために、彼は長年住み慣れた土地を離れ、彼女は自分の実力の遙か上にある高校を受験する、彼と彼女のダイタンな行動が眩しかった。

そして如月いるかを除く修学院の面々は、倉鹿修学院中等部の卒業式の日を迎えた。
卒業式のあと、山本春海は廊下で在校生からサイン攻めにあい、一歩も動けなくなっていた。学生服の表地にボタンがあれば、残らず引きちぎられていたはずだ。
その横を大川博美が卒業証書を手に「すごいわねえ。」と、他人事な表情で通り過ぎようとした。それに気づいた山本春海が人波を掻き分け手を振った。
「大川!」
山本春海を取り囲む在校生の視線が一斉に大川博美に向けられた。在校生たちのあまりの形相に、思わず小さく「げ。」と呟いた。
「ちょっと話があるんだ。時間とれるか?」
大川博美を見る在校生たちの表情がますます険しくなった。承諾の返事をしたら、掴みかかられそうな雰囲気だ。
しかし、山本春海が自分を呼び止めることなんて珍しい。二人で話すことも数えるほどしかない。何かよほどの用事があるのだろうと思った。
「いいよ。教室で待ってる。」
続けて、在校生たちに言った。
「あんたたち、山本君が東京に行く理由知らないの?いるかちゃんに逢うためなんだから。」
そして清々した顔でその場を後にした。
山本春海を取り囲んだ在校生たちが金切り声のような悲鳴をあげていた。
――山本君、無事ですむかしら。
火種を投下しておきながら、他人事のように思った。

きっかり30分後に山本春海は3年雪組の教室に現れた。
「大川、てめえ、余計なことを言いやがって。」
言葉は乱暴だが、落ち着いた声のせいか品が悪くは聞こえない。むしろ親しげですらあった。
そしてさっき見たときよりも、心なしかやつれたようにも見える。制服の裾は方々から引っ張られたせいで、ほころびていた。
「余計なことじゃないでしょ。わたしが言わなかったら自分で言ってたくせに。」
その通りだ。言ったあとの惨状を予想して言えなかっただけだ。
「話したいことって何?」
「話したいことというか、謝りたかったんだ。東京に行く前に。」
「謝る?何を?」
「ソフト部のこと。」
「”あんなつまらん弱小クラブ”?」
大川博美がおどけた様子で当時の山本春海の言動を再現した。
「勘弁してくれよ。」
「ま、弱いのは事実だったし。つまらなくはなかったけど。」
両手の指と指を組んで、そのまま腕を上に上げて伸びをした。
「でも、強い方がもっと面白いもんね。」
頭の上で組んだ手のひらを外して両腕を下ろし、山本春海の方に振り向いて笑った。山本春海は少し安心した顔で言葉を続けた。
「それから、お礼も言いたかった。」
大川博美は小首を傾げた。
「お礼を言われる覚えはないけど。」
「言う覚えはある。いろいろ、ありがとう。」
大川博美と山本春海は正面に向き合った。
「よくわかんないけど。どういたしまして。」
教室の開いた窓から風が一陣吹き抜けた。

「東京には、いつ?」
「あした。」
「そう、がんばってね。」
大川博美は右手を差し出した。
山本春海はその手を握りかえした。
「おまえもがんばれよ。もう、人の面倒ばっかり見るなよ。」
「おたがい様でしょ。」
いつから自分たちはこんな軽口をきく間柄になっていたのだろう。ふと、今までの出来事がよみがえってきた。
「おれはそうでもないさ。人の気持ちを考えて、一歩引くことなんてできないから。」
「……。」
山本春海は大川博美の想いに気づいてた。
3年前には合理的で冷静すぎて人の揺れる想いなど理解しようともしなかった少年は、細やかな観察眼を持ち人の小さな言動や行動から、その人の気持ちを思い量ることのできる青年に成長していた。
彼をそうさせたのは、如月いるかであり、彼の仲間たちでもあった。
大川博美と山本春海は握手していた手を離した。
「いるかちゃんにヨロシクね。」
「ああ、みんな元気だって伝えておくよ。」
「今度泣かせたら、承知しないわよ。」
「うん。」

山本春海が3年雪組の教室の扉を開くと、廊下には太宰進、一色一馬、長門兵衛、日向湊、出雲谷銀子、伊勢杏子が2人が出てくるのを待っていた。
「学校終わったし、寄り道してこうぜ。」
太宰進が言った。
山本春海が倉鹿で寄り道するのもこれで最後。
それを名残惜しむかのように、ゆっくりと倉鹿修学院中等部の校門をくぐった。
振り返って、校舎を見上げた。
そして、誰が合図したわけでもないのに、みんな揃って校舎に向かって一礼した。

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