第7話 仲

日も暮れ果てる頃に始まった3年生の歓送会は、まさに山本春海の独擅場だった。
脚本を完全に無視した熱烈的なセリフ、演出係が唖然とするほどの過剰な感情表現、それは既に中学生の演劇の域を超えていた。
舞台袖に引っ込んだ敵役の太宰進と衣装係の大川博美が、顔を赤らめながらその様子を見ている。
「去年の歓送会の眠り姫、覚えてる?」
大川博美が尋ねた。
「ああ。」
太宰進が舞台に目を向けたまま答えた。去年の歓送会は主役二人を山本春海と春日丘雅江が演じていた。まさに修学院の王子様の名に相応しい、品のある、淡泊な演技だった記憶がある。
「あれも、キスシーンがあったけどさ・・・。」
と言いかけたと同時に、舞台上ではトニー春海がマリアいるかを抱き寄せて、まさに唇を合わせようとしていた。
去年の眠り姫と違い、キスシーンなどないし、キスシーンの必要性もない。勝手にシーンが捏造されている。
「あ〜〜〜〜!」
これは止めるべきか、止めたらトニー春海に本気で殴られそうだ。なりゆきにまかせるしかない、舞台袖にいる誰もがそう思った。
結局、みんなの驚きと不安と期待は杞憂だった。マリアいるかがトニー春海を突き飛ばし、自ら自分の身を守ったからだ。
マリアいるかに突き飛ばされて吹っ飛んだトニー春海を見て、大川博美はクスクス笑い、太宰進はホッと胸をなで下ろした。そして大川博美は太宰進の表情を見逃さなかった。

如月いるかと山本春海の仲は、ほぼ全校生徒の公認となった。
如月いるかに山本まのかのようなライバルが現れることはなく、如月いるかに少しでも近づく男がいれば山本春海が威嚇する。二人の間でどんな会話が交わされているのかは知る由もないが、日々を重ねるとともに、少しずつ少しずつ二人の仲は固い絆で結ばれていったはず。
太宰進が如月いるかへの想いを諦めることは簡単ではないけれど、きっと時間が解決してくれる。
大川博美はゆったりとした時の流れに身を任せていた。
自分たちが過ごしている日々はこれからもずっと続いていく、それが当たり前だと思っていた。

7月に入ってまもなく、大川博美は昼休みや放課後に如月いるかに呼び止められる事が多くなった。
「博美、バスケットボールのルール教えて!」
「いいよ。でもどうして?」
「来週にバスケ部の助っ人するんだ!」
「へえー。」
如月いるかが大川博美を呼び止める用件の多くは、スポーツのルールの説明だった。大川博美は球技全般に詳しい。
大川博美はソフト部のグラウンドで、如月いるかにバスケットボールのルールを簡単に説明した。
「ボールを持ったまま3歩以上歩いちゃいけないの。」
「鞠つきみたいに、ボールをつくことをドリブルと言って、ドリブルしながらは歩いても走っても良いの。」
「ふんふん。」
一年ほど前にソフトボールのルールを説明したときには、すぐに根を上げていたのに、今回は根気よく聞いている。
大川博美は深くは追求しなかったが、いつもと様子が違うことは敏感に感じ取っていた。
しかし、山本春海や太宰進に相談するほどのことでもない、と思った。前向きに部活に取り組むこと自体には何の問題もない。ただちょっと不思議に思っただけ、ただそれだけだった。
あとになって考えてみれば、如月いるかが山本春海でなく大川博美にスポーツのルールを聞いていたことも不自然だ。
この頃から既に、如月いるかは山本春海から一線距離を置き始めていたのだろう。
まだ誰も、そのことに気づいていないだけで。

如月いるか、山本春海、太宰進の3人の仲は、野球大会の決勝戦を境に以前とは変わった。
それまでも、如月いるかと太宰進が仲良さそうに振る舞うことはあっても、すぐにその場で山本春海が不機嫌になり一色一馬がなだめる、それは日常茶飯事の光景だった。
それが決勝戦の翌日には一変した。決勝戦に応援に行けなかった大川博美が、如月いるかに「野球部勝ったんだってね!やったね!」と話しかけても、ニッコリ笑うだけだった。瞳には暗い影すらあった。今までの如月いるかの反応とは全く違う。
「今年の夏は、山本君とどっかに行くの?」
なんて二の句も継げなかった。
太宰進もめっきり口数が少なくなった。如月いるかのことも山本春海のことも尋ねられる雰囲気ではない。3人の中に何かがあったのは確かだった。

日向湊もまた、大川博美と同じように異変を感じていた。
ある日運動場の片隅で、大川博美と日向湊が話をしている。大川博美は如月いるかの様子について尋ねられた。
「変だよ。練習中も上の空だったし。フライを落とす姿なんか、心ここにあらずだったもん。まるで昔のソフト部員みたい。」
「山本君も何だか変よ。山本君が変というよりは、山本君もいるかちゃんが変な理由を知らないみたい。」
少し間をおいて、少し悲しげに続けた。
「なんで俺に言ってくれないのかって言ってた。」
「そう……。」
小学生時代から地元の剣道場で山本春海と知り合いだった日向湊は、大川博美よりは山本春海に好意的だった。それが友だちとしての好意なのか、違うものなのか、日向湊が自ら口に出さない限り、大川博美も尋ねなかった。
如月いるかと山本春海の仲がギクシャクしている、その影響は波紋のように二人の周りに静かに広がっていた。

今日もまた、練習が終わり、太宰進が如月いるかを迎えに来た。大川博美は、如月いるかと太宰進が並んで帰る後ろ姿を見ていた。
胸の奥が引き裂かれそうに痛い。息が詰まる。とっても苦しい。
二人が一緒の場面は今までに何度も見てきたのに、その時には平気だったのに、どうして今はこんな気持ちになるのか?
太宰進が如月いるかを好きでも、如月いるかに対して妬いたり、僻んだりする気持ちは全く無かった。
その理由は、如月いるかが自分の友だちだからだと思っていたが、それだけではないことに気づいた。
――いるかちゃんには山本君がいる。
そう思っていたから、穏やかな気持ちでいられたのだと気づいた。
太宰進がいくら如月いるかを想っていても、如月いるかがその想いに応えることはない。
そう思っていたからこそ、穏やかに見ていられたのだ。
むしろ、報われない片思いの太宰進に同情すらしていた。
それが、いざ二人が親密そうになったら、もう見ていられない。
大川博美はせつない辛さをようやく知った。
それでも、彼女がそれを言葉や態度に出すことはなかった。
如月いるかの様子が変なことも、山本春海とギクシャクしていることも、太宰進と親密になっていることも、きっと時間が解決してくれると信じた。
自ら積極的に行動したソフト部再建の時とは正反対に、大川博美は全く動けなかった。

そして大川博美は全てを忘れて、ソフトボールの試合に専念した。

皮肉にも、如月いるかの様子が変だった原因は、ソフトボール部の試合の最中に知らされた。
如月いるかが東京に帰ることは、周知の事実になった。
野球部の試合を境に崩れてしまった3人の仲は、ソフトボール部の試合を境に元に戻ったように見えた。

如月いるかは、8月31日に東京に帰った。
水練大会会場では、みんなが、来るはずのない如月いるかを、いつまでもいつまでも待ち続けた。

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