第6話 勝負

山本春海が4月に東京の里見学習院中等部に編入する。
如月いるかは、その事実を最悪な形で知った。
山本春海自身の口から如月いるかに打ち明けたのならば、まだ救いがある。しかし現実は、院長室から漏れ聞こえる、教師達と山本春海の会話で事実を知らされた。
里見学習院への編入を問われた彼は、承諾の返事をした。
院長室の外で、大川博美と日向湊は如月いるかの顔を見た。自分たちはともかく、如月いるかは知ってるだろう、そうでなければ酷すぎる。もしも知っていたならば、隠し事が苦手な如月いるかのこと、態度や素振りに出ている、それが出ていないのだから如月いるかも知らないはず、理屈ではわかっていても、そんな薄情な事実は信じたくなかった。
しかし、如月いるかの大きな瞳が更に大きくなっている。驚きの表情だった。
――いるかちゃんも知らなかった。
大川博美と日向湊が声をかけようとした瞬間、如月いるかはその場から逃げ出した。口元に手を当て、二人に背を向けて走り出す姿は、皮肉にも今まで二人が見た如月いるかの中で、一番女性らしい仕草だった。
廊下の騒がしい様子に気づいた山本春海が、院長室の扉を開けて見たものは、驚きと怒りと失望の表情の大川博美と日向湊だった。
二人が山本春海にかけるべき言葉は、何もなかった。

翌日、太宰進が一色一馬と長門兵衛と共に鹿鳴会本部で山本春海を責めた。
幼なじみの相変わらずの水くさい態度に腹を立てつつ、鹿鳴会本部を出ようと扉を開けると、扉の外には大川博美がいた。
「いるかは?」
太宰進が尋ねた。
「まだ来てないわ。」
太宰進は後ろ手で鹿鳴会本部の扉を閉めた。大川博美はそれを見届けてから呟き始めた。
「まのかちゃんがいなくなって、やっと今まで通りに戻ると思ってたのに。」
「4月にまた会えるってこういうことだったの?」
「どうして編入なんて!」
「なんでいるかちゃんに何にも言わなかったの!?」
段々と声が大きくなりつつ、一気にまくしたてた。
「大川、落ち着けよ。」
太宰進が扉の向こうを気にしながら言った。
「山本君ひどいよ!前から冷たい人とは思ってたけど、昔はまだ理解できたよ。」
「落ち着け。」
「でも、今度は全然わかんない!」
「大川!」
大川博美の腕を掴んだ。
「いるかちゃんのこと、何だと思ってんのよ!?」
「大川、それを春海の前で言うつもりか!?」
太宰進は掴んだ腕を揺さぶった。
大川博美は太宰進の手をふりほどき、両手で自分の顔を覆った。
「いるかちゃんが、どんな気持ちであの話を聞かされたと思ってるのよぉ……。」
顔を覆った指の間から涙がこぼれた。
大川博美の声は鹿鳴会本部の中にも聞こえているだろうに、中からは何の反応もなかった。

その日、学校を遅刻した如月いるかは、笑顔で山本春海に別れを告げた。
もしもこれが山本春海と如月いるかの勝負ならば、如月いるかの圧勝だ。
大川博美は、そう思った。

昨日、大川博美が如月いるかをけしかけたのには、二つ理由があった。
一つは、目障りな山本まのかがいなくなったこと。
そしてもう一つは、如月いるかと山本春海にきちんとくっついて欲しかったこと。
お互いに想いを寄せ合っているのに、きちんとくっついていない二人は、周囲のからかいの対象としては、楽しい存在だった。
しかし、二人の関係の曖昧さゆえに、胸を痛めている人もいる。二人がきちんとくっつけば、諦めもつくかもしれないのに、つかず離れずの微妙な関係は、密かにどちらかを想う人に何かを期待させてしまう。その期待が叶うことはないと頭の中で言い聞かせても、心が叶わない願いを求めてしまう。
そんなもどかしい日々に終止符を打ちたかった。

――うまくいくようで うまくいかない…
――結局…そんな運命だったんだろうか…

そんなセリフは聞きたくなかった。

そして歓送会当日。
大川博美と日向湊は、油断した隙に但馬館の番長グループに囚われの身となった。
――いるかちゃん、来ちゃダメー!!
2人の願いとは裏腹に、如月いるかは迷わずに但馬館の体育用具室にやってきた。そして、2人と共に閉じこめられた。
「ご ごめん ごめんね…!あたしたちのせいで…」
泣いても仕方がないのに、涙が止まらない。山本春海と最後の思い出作りを壊してしまった。
「ちがうっふたりのせいじゃないっ」
如月いるかはそう叫んだが、自分たちが捕まらなければ、今頃は……。そう考えると自分たちがどうしようもなく情けなかった。
そして3人は但馬館の番長グループの目的が歓送会の妨害と知った。
「代役がうまくやるってよ!」

山本春海は、どうしているだろうか。代役を立て、歓送会を続行しているだろうか。
大川博美が不安げな顔で、如月いるかを見た。
如月いるかの表情には、落胆もあきらめもなかった。
但馬館の妨害なんか物ともしない強さは、どこからくるのだろう。
「博美、湊、あたしがあいつらを挑発して、この扉を開けさせてやる。」
「扉が開いたらケンカになるから、すぐに安全な場所に逃げて。」
如月いるかは鉄格子に手を掛けて顔を下げ、呟くように2人に言った。
「わ、わかった。」
2人が頷いたのを見てニッコリ笑うと、手を鉄格子に掛けたまま顔を上げ、背伸びをした。そして大きく息を吸った。
「バカヤロー きたねーぞ それが番長のやることかあっ」
体育用具室の外に如月いるかの怒声が響き渡った。

結局、山本春海の里見学習院への転入騒動は、鹿鳴会の出稽古に名を借りたケンカと彼自身の啖呵で幕を閉じた。
大勢の注目の中で抱き合う2人を、大川博美と日向湊は少し遠くから見ていた。
「まったく人騒がせなんだから。」
赤くなりながら日向湊が毒づいた。大川博美はうんうん、と頷いた。
「山本くんも意外と熱いところがあるじゃない。」
日向湊が更に言った。
「ねえ。」
大川博美も頷いた。
山本春海の暴走ぶりに驚かされるのは、まだままだこれからだった。

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