第2話 明暗

大川博美はソフト部に入部して間もなく、山本春海が「ご愁傷様。」と言った意味を理解した。
太宰進が言ったとおり、ソフト部はその創部以来、連戦連敗を続けていた。そんな部活に学校側は冷たく、練習場所の確保はおろか、各部長を召集して行う予算会議にさえも呼ばれないくらいの扱いを受けていた。
日向湊が「他のクラブとは勧誘の雰囲気が違う。」と言った様子も目の当たりにした。
他のクラブは勧誘用に設置した机やイスの周囲に各大会の優勝トロフィーや賞状を掲げて、いかに実績を挙げているかを主張しているのに対し、ソフト部だけは「楽しく活動すること。」というのを全面に押し出していた。
創部以来連戦連敗なのだから、掲げるトロフィーなんてあるわけもない。苦し紛れの誘い文句と言われても仕方がなく、輝かしい実績を挙げる他のクラブの中で、ひときわみすぼらしさが目立っていた。

放課後にソフト部の狭い部室に部員が集合すると、部長が言った。
「練習は、7時からになるので、それまでは解散です。」
ユニフォーム姿の部員たちが部室を出ようとする。
「ちょっと待ってください!」
「あなたは?」
部長が尋ねた。自己紹介は入部した日に済ませたが、まだ名前を覚えられていなかったらしい。
「1年雪組の大川博美です。」
10人の3年生に囲まれて、少し声がうわずっている。2年生の部員はいなかった。
「どうして、練習が7時からなんですか?」
山本春海からグラウンドの使用状況について聞かされていたが、どうしても信じがたい事実だった。
「7時までグラウンドを野球部が使っているからよ。」
やっぱり。
「だから、うちの練習時間は7時から8時までの1時間だけ。練習時間が短くて楽でしょ?」
そして部員たちは次々と部室を出て行った。
「今日はどこに行く?」「お好み焼き食べたいな。」
口々に遊びの計画を立てていた。
部長は部員たちを見送り、ため息を一つついた。

呆然と立ちつくす大川博美に部長が話しかけた。
「こんなんじゃ強くなるわけないわよね。」
大川博美は返事が出来なかった。
「弱いからグラウンドを貸してもらえない、グラウンドが無いから練習が出来ない、練習が出来ないから強くならない。」
「悪循環ですね。」
「そう。そして、問題は、そのことに誰も気づかないふりをしていることよ。」
ソフト部の部室には3年生は部長が1人、1年生は大川博美を含めて5人いた。その中には大友澪もいた。
「でも、みなさん、ソフトボールが好きなんですよね!?」
大友澪がきいた。
「たぶんね。でも……」
「高校進学の内申書のためにやっている子もいるよ。部活動に入ってないと、内申書がマイナスになるから。」
「うちだったら、練習も楽だしね。」
なんと情けない言葉だろう。
大川博美と大友澪は顔を見合わせた。
「わたしたちは、わたしたちで出来ることをやろうか。」
大川博美は部室の中を見回した。ロッカーの隅に汚くなったボールやバットが転がっているのを見つけた。
本来ならば、グラウンドに置くべき道具だが、グラウンドを持たないソフト部は部室に置くしかなかった。
「これ、磨こう。まずは道具をきちんとすることからだよ。」
「そうですね。」
5人の一年生は使い古しのタオルでボールとバットを磨き始めた。
部長が、その姿を申し訳なさそうに眺めていた。

そして夏休みが終わるとともに、10人の3年生はソフト部を引退した。
次期部長は満場一致で大川博美に決定した。
しかし部員は1年生がたった5人。部活動を行う上での規定人数10人の半分でしかなかった。
ソフトボールの人数9人にも満たなくて、後期の試合は放棄するか、助っ人を頼むしかない。前途多難であった。

9月初旬、お昼休みに教室で日向湊と大川博美が昼食を食べている。
日向湊は秋から剣道部の副主将になった。剣道部はソフト部と違って2年生もいる。日向湊は実力と人望で2年生を押しのけて副主将になった。
その日向湊が大川博美に言った。
「今週末の放課後に、後期の予算会議があるんだけど、知ってる?」
「知らないよっ!」
大川博美は頭を抱えた。ソフト部の冷遇状態は相変わらずだった。
「去年だって、予算を一方的に決められて、大赤字だったんだよ。」
大川博美は机の中から、お菓子の空き箱を出した。箱のフタを開けると中には領収書が山のように入っていた。そろそろ予算会議の時期だと思って、引退した元部長と共に去年度の領収書をかき集めていたのだ。
「見てよ、この領収書の山!これ全部、部員が負担してたんだよ。」
「なんなの、これ、ひどいじゃないの。」
日向湊が一枚一枚、領収書を手に取った。
「ボールや救急用品とかの消耗品、試合の参加費、そのほとんどを部員が負担しているなんて、学校の部活としておかしいよ。」
部活をするには練習場所が必要だ、お金だって必要だ、ソフト部には、そのどちらもない。強い部を優先して予算を決めることには反論できないが、あまりにも極端すぎる。こんな状況でどうやって部活をやれと言うのだろう。
「呼ばれてないけど、今度の予算会議は、わたしも出るわ。鹿鳴会はわたしたちと同級生なんだし、話せばわかってくれるかもしれない。」

週末の放課後、大川博美は呼ばれてもいないのに、予算会議に参加した。
鹿鳴会本部の隣の会議室に集まった、各部長の面々。正面には鹿鳴会の4人。
その中には半年前にグラウンドで二言三言かわした山本春海と太宰進がいた。
「ソフト部には召集かけてなかったが?」
山本春海の声は完全に声変わりを終え、冷たさが更に際だっていた。
「今回は3年生が引退して代替わりした最初の会議です。最初から除外するなんて、少しおかしくありませんか?」
負けるな、負けるな。
大川博美は自分を励ましながら、一言一言ゆっくりと抗議した。
一色一馬が「たしかに、それは一理あるな。」と言った。
「長門、本部からパイプイスを一つ持ってきてくれ。」
山本春海が長門兵衛にいった。
ソフト部部長の席が用意された。

予算会議が始まった。
予算会議の流れは、最初に鹿鳴会が作った予算案を発表し、全ての部活の部長の承認をとって決定する。
部長は承認するまえに異議申し立てをすることもできる。とはいえ、鹿鳴会が作った予算案が大きく覆されることはほとんどなかった。
各部長に予算案をプリントした紙が配られて、山本春海が口頭で内容を発表していく。
大筋の説明が終わったところで、山本春海が言った。
「以上が予算案の概略だが、異議がなければここで決をとりたいと思う。」
大川博美が大きく息を吸って、手を挙げた。
「異議あり!」
大川博美を除く全員が大川博美に注目した。
「ソフト部の予算が少なすぎます。」
「昨年度の実績を見ての金額だ。」
大川博美は小脇に抱えたお菓子の空き箱を持って、正面の鹿鳴会に向かって進んだ。
ソフト部ごときが何を言ってる?
周囲の視線が大川博美の背中を突き刺す。
山本春海と太宰進の目の前の机に空き箱を置いてフタを開けた。中に入っているのは領収書の山。
「これは、去年度に部員が負担したお金の領収書です。部全体で使用する消耗品のお金を部員が自腹で払ってます。」
その横で帳面も開いた。引退した元部長と大川博美が数日がかりで作った出納帳だった。
「去年の支出の中で、予算でまかなえたお金は3割です。あまりにもひどいと思います。」
鹿鳴会の4人が顔を見合わせた。山本春海が帳面を受け取り、パラパラと中身を確認する。
「それから、予算の話ではありませんが、ソフト部のグラウンドの使用開始時間を早めてもらいたいんです。」
山本春海の帳面をめくる手が止まった。

もめにもめた予算会議は、日がとっぷり暮れる頃になってようやく終わった。
ソフト部の部室には1年生が全員揃ってキャプテンの帰りを待っていた。
「どうでした!?キャプテン!」
大川博美は憔悴しきった顔をしている。
「予算は、試合の参加費だけは出してくれるって。あとは今までどおり。
グラウンドは6時からにしてもらうのが精一杯だった。」
そういって、大川博美は背中を向けた。
「うちは部員も少ないし、勝ったこともないし……」
その後は声がつまった。泣いているのかもしれない。
「期待させておいて、ごめんね。」
「何言ってるんですか!!」
大友澪が大声をだした。
「6時からってすごいじゃない!ボールが見えるうちに練習できるんだよ!」
部員が口々に大川博美を讃えた。
「冬だと暗いけどね。」そう言って振り返った大川博美は笑顔だった。

予算が少なくても、練習場所が無くても、みんなソフトが好きなんだ。
わたしはキャプテンなんだから、泣いちゃいけない。

顔で笑って心で泣いて

少し離れたグラウンドで響く野球部の練習の声を聞きながら、グラウンドで練習ができないソフト部の一日は終わった。

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