鈍感な恋心

中学剣道選手権全国大会が終わり、倉鹿修学院剣道部が倉鹿に帰ってから数日が過ぎた。
如月いるかの足は未だ全快とは言えず、大事を取ってクラブ活動を休んでいた。如月いるかは、放課後、山本春海に頼まれた仕事をするために鹿鳴会本部に居残っていた。机の上に積まれた資料の内容を、別のノートに書き写している。
「これって、そんなに急いでやることなのかな。春海は今日中にやれって言ってたけど」
「毎日、何かしら用事を言いつけられている気がする。それも小出しに」
「早く帰っても、うるさいじーさんがいるだけだから、時間を潰すには良いけどさ」
ブツブツひとりごとを言っていると、学ラン姿の山本春海が鹿鳴会本部に現れた。
「春海!頼まれてた仕事終わったよ」
山本春海は如月いるかからノートを受け取って、中をパラパラと見た。
「ありがとう。汚い字だな。もう少し丁寧に書けないのか」
「うるさいな。文句言うなら頼まないでよ」
如月いるかの言葉には耳を貸さずに、「明日は、これを頼むよ」別の資料を如月いるかに手渡した。
「えー、まだあるのー?」
「まだ、あるの。少しは俺たちの苦労も知れ」
はいはい、と言いながら、如月いるかはイスに座った。
「何やってんだよ。帰るぞ」
「野球部の練習は?」
「終わったよ。今は基礎体力作りの時期だから、各自でメニューをこなせば終了」
「ふーん。楽な時期なんだね」

そのころ野球部では、部員がぼやいていた。山本春海が提示した基礎体力作りのメニューがあまりにも厳しすぎるからだ。山本春海曰く、「このメニューがこなせるまではチーム練習及び技術的な指導は不要」とのこと。以下、部員たちのぼやき。
「山本会長の出したメニュー、キツすぎて絶対に一日じゃ終わらねー」
「メニュー終わるまで、チーム練習やらないって言ってるんだから仕方ねえよ」
「そのメニューを毎日軽々こなしている山本会長は化け物だ」
山本春海1人がサッサと練習を終わらせるための基礎体力作りメニューなのだから、当然の結果であった。

毎日通る帰り道を二人で歩いている。山本春海は一ヶ月前の鹿々川でのキスと、一週間前に六段の如月邸でぶっ飛ばされたことを思い出してた。
自分たちは、本当にキスをしたのだろうか?如月いるかは、数日間態度がぎこちなかっただけで、剣道部が合宿する頃にはスッカリ元通りの態度に戻っていた。おまけに、ちょっと後ろから腕を回せば、殴られて張り飛ばされて蹴っ飛ばされて噛みつかれる始末。なぜ?理由がわからない。
それでも、六段中の生徒たちに「彼氏?」と尋ねられた時には否定はしていなかった。少しは、そう思っているということなのか。
でも、たぶん、今抱きしめたら、やっぱりぶっ飛ばされるんだろうな。

山本春海の苦悩に全く気づく気配もない如月いるかが、自販機の前で立ち止まった。
「喉乾いちゃった。飲んでって良い?」
「いいよ」
如月いるかは自販機で100%果汁のオレンジジュースを買った。
「春海はいいの?」
プルトップを取り、缶に口を付けてグビグビ飲みながらきいた。
「一口だけ」
如月いるかが飲んでいた缶ジュースを受け取り、飲み口に口をつけた。
「あ、間接キ……」
「ん?」
「な、なんでもないよ」如月いるかが真っ赤な顔の前で両手をブンブン振った。
山本春海が口をつけて飲んだ缶を受け取り、如月いるかは同じ飲み口に口をつけて、ジュースを全部飲み干した。
如月いるかは飲み終わった缶を見つめて思った。
間接キスちゃった。春海は全然気にしてないみたいだけど。
いつものファンタオレンジじゃなくて、炭酸無しの果汁ジュースを買うなんて、あたしも春海が飲むことを期待していたような気がする。
如月いるかはチラリと山本春海の顔を見た。山本春海も如月いるかを見つめていた。
「あ、あのさ……」
二人が同時に声をかけ、山本春海が如月いるかに手を伸ばしたそのとき

「おーい、いるか!あんたいつまで練習サボってるつもりさ!」
女子サッカー部の校外ランニングの先頭を走る出雲谷銀子の呼び声がした。修学院の方角からやってきた女子サッカー部の集団が、如月いるかと山本春海の隣を走り抜ける。
「サボりじゃないよーだ!明日から出るよ!」すっかりいつもの調子の如月いるかが怒鳴った。
出雲谷銀子の真後ろを走っていた伊勢杏子が、すれ違いざまに声をかけた。
「山本くん、残念だったねー」
「うるさい」「なにが?」山本春海と如月いるかが同時に言った。

女子サッカー部が通り過ぎるのを見送って、山本春海はため息をついた。
「もう、足は大丈夫なのか?」
「うん。お医者さんが明日から運動しても良いって言ってたから」「あ、でも、春海に頼まれた仕事はやるよ。それから練習に行く」
「その仕事、暇なときで良いよ。急いでないから」
さっきと話が違うじゃん、と如月いるかは思ったが、口には出さなかった。
――もしかして、春海はあたしを送ってくれていたのかな。
如月いるかを除く全員が周知の事実に、ようやく本人が気がついた。

しかし、みんなのイタズラ心には全く気づいていなかった。
「昨日はソフト部、一昨日は柔道部、その前はアイスホッケー、その前は男子サッカー部に会ったよね。外を走るのが流行っているのかな」
――そんなわけねーだろ。どうして気づいてくれないんだ、このお嬢さんは。
山本春海は、如月いるかだけが気づいてくれない恋心を抱え、ため息をついた。
如月いるかもまた恋心ゆえに、間接キスの空き缶を自分のカバンにこっそり入れていた。
しかし山本春海は、その事に全く気づいていなかった。

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