「うぎゃ〜、かんべんしてよお」
中学2年の梅雨、中間試験のあまりの出来の悪さに、1人で居残り補習を受けていた如月いるかは、昇降口でぼやいた。朝来るときには快晴だったはずなのに、今ではバケツを引っ繰りかえしたような大雨が降っている。梅雨ならではの光景だ。
「しょうがないな、走って帰るか」カバンを頭の上に乗せ雨よけにしたが、焼け石に水。それでも大股でバシャバシャと足音を立てて走り出した。

学校へ続く石段を駆け下り、少し大きな通りに出る角を曲がる。その時、後ろからクスクス笑い声が聞こえた。「まぬけなやつ」
如月いるかが勢いよく振り返り叫んだ「誰だ、今笑ったやつは!!」この頃の如月いるかは、誰彼構わずにケンカ腰になる節があった。
「おれだよ」山本春海は黒い折りたたみの傘を差していた。
「なに、あんたも居残り?」
「お前と一緒にするなよ。おれは先生に頼まれた用事があったの」「おおかた、朝晴れていたから、傘を持たずに家を出たんだろう?迂闊なやつ」
「大きなお世話だよ」如月いるかは、大雨で髪はグショグショ制服もずぶ濡れになっている。夏服の白いセーラー服は水を含んで少し透けていた。
山本春海はずぶ濡れの制服から少し目を反らして、傘を如月いるかの頭上にかざした。「そこまで濡れたら無駄だとは思うけど」
「いいよ」如月いるかは手を伸ばし、傘の縁を山本春海に押し返す。
「よくないだろう、風邪引くぞ」再び傘を如月いるかの頭上にかざした。
「いいってば、あんたが持ってきた傘じゃん」再び傘の縁を山本春海に押し返す。
「意地を張るなよ、強情っぱり」しつこく傘を如月いるかの頭上にかざす。
「強情っぱりはあんたでしょ」負けずに傘の縁を山本春海に押し返す。
ビッビーー!!
道の往来で押し問答をしている二人にトラックがクラクションを鳴らし、横を通り過ぎた。
バシャッ
トラックは通り過ぎざまに道路の轍の水を跳ね上げ、如月いるかと山本春海は頭の上から水を被った。

お互いの顔を見合わせて少しの沈黙のあと、「はーっはっはっは」 頭のてっぺんから足の先までずぶ濡れになったお互いの姿を見て大笑いした。
「もう、いいや、濡れて帰ろう」山本春海は傘の水を切って閉じた。「風邪引いたらおまえの責任だからな」
「春海があたしに構わずさっさと帰ってれば、良かったんじゃん」
「なんだと!?」口調は怒っているが、心の中では確かにその通りだと、山本春海は思っていた。あのまま如月いるかが走り去るのを黙って見送れば良かったのだし、傘を差し出すいわれもなかった。
でも、なぜ?
疑問に対する答えは無かった。勉強も部活も生徒会も曖昧を許さずハッキリと答えを出す主義だったのに、最近は答えの出ないモヤモヤとした何かが自分の中でどんどん大きくなっていることに、山本春海は気づいていた。そして、そのモヤモヤは答えが出ないくせに不快ではなく、むしろ楽しんでいる節すらあった。
山本春海は、そのモヤモヤを振り払うかのように頭をブンブン振り、如月いるかに聞いた。「おまえ、 いつも長傘だけど、折りたたみ傘は持ってないの?」どうして、おれは如月いるかの持っている傘を知ってるんだ?心の中の疑問に対する答えは無い。
「こっちに引っ越すときに持ってくるのを忘れた」如月いるかは山本春海の疑問に気づくわけもなく、答えた。
2人は雨に濡れたまま家路を急いだ。

数日後、鹿鳴会本部の如月いるかの席に折りたたみ傘が置いてあった。誰かの忘れ物かな?と手に取ると、走り書きのメモに気づいた。
『弟のお古だけど、よかったら使ってください。山本』
「弟のお古〜?」傘を持ってないからってバカにすんなよ。仮面ライダーとかウルトラマンとか描いてあったら、突っ返してやる。
力任せに勢いよく開いた傘には、一面の空と雲に、ひまわりの絵がいくつも描いてあった。傘の柄にもひまわりの絵があしらってある。
「へぇ〜春海の弟って、かわいい趣味してるんだ」
自分好みのデザインの傘に気をよくした如月いるかは、山本春海の「厚意」をありがたく受けることにした。

それから一年。中学3年の梅雨。山本春海は一年前と同じ黒い折りたたみ傘、如月いるかは空色とひまわりの折りたたみ傘を差して、学校からの帰り道を歩いていた。
そこに一陣の突風が吹き抜け、あわれ如月いるかの傘は呆気なくおちょこになった。
「うっぎゃあ!骨が折れてる」慌てて傘を見るが、一目で修復不可能な状態だと悟った。
「まったくお前ってやつは」山本春海が苦笑しながら自分の傘を如月いるかの頭上にかざした。如月いるかがその傘を力任せに押し返すことはなかった。
「気に入っていたのに」名残惜しそうに傘の柄を持って見つめている。その横顔を山本春海は優しく見つめている。
「今度はもう少し骨が丈夫なやつを買わないとね。まあ、いるかが使っていて一年もったのだから上々かな」
「え?」如月いるかは山本春海の顔を見た。

「ありがとう」それは、今かざさされている傘に対するお礼か、それとも一年前の「傘」に対するお礼だったのか。
「どういたしまして」山本春海にとっては、どちらでも良いことだった。
いつの間にか雨は小降りになっていたが、二人は一本の傘を差したまま歩いていた。

すきま物語小説目次  web拍手ボタン