少しだけ

「あんがい、にあうなと思って」「本気にして良いよ」
山本春海は自分が言った言葉を思い返していた。なんで、あんなことを言ったのだろう?自分でもよく判らなかった。素直に口から出た言葉だった。
玄関先で見たときは、あの有様だったので、すぐには母のゆかただと気づかなかった。
背丈も髪の色も目の色も振る舞いも母とは似ても似つかないのに、何故似合うと思ったのだろう。縁側で徹を抱く姿を見たからだろうか。
似合うと言った時の照れた顔。いつも怒った顔や人をバカにした顔ばかり見ていたから、あんな表情するなんて知らなかった。

「ん〜〜〜。あれ?いるかちゃんは?」山本徹が目を覚ました。
「とっくに帰ったよ。何時だと思っているんだ?早く夕飯食っちゃえ」
「うん……」山本徹は起きたばかりでボーッとして、周囲をキョロキョロ見回している。
「ゆかたなら片づけたよ」
山本春海はお膳の上に山本徹の茶碗や箸を並べた。山本徹は促されるままもぞもぞと遅い夕食を取り始めた。
「おまえ、いるかに張り付いたまま眠っていたんだぞ。覚えているか?」
「うん……。いるかちゃん、いいにおいがしたんだ。お母さんっているかちゃんみたいだったのかな」
「母さんはチャンバラはしてくれないと思うけどな。それに……」
あんな格好で廊下を走ったりもしないだろう。今になって笑いがこみ上げてきた。何があったか知らないが、なぜあんな格好で俺の家の廊下を走り回っていたんだ?自分と目が合った如月いるかは、そのまま逃げ去ってしまった。そういえば……
「あいつらも、あれを見たんだよな」
「ん?」山本徹が箸を止めた。
何でもないよ、良いから食っちゃえ、と山本徹を促して、山本春海は頭を抱えた。確か俺の隣にいたのが進で、その後ろに一馬がいて、一番後ろに兵衛がいたはずだ。
あいつらは、一体どれくらい見たんだ?
なぜだが胸がチクチク痛むが、過ぎたことは仕方がないと思うしかない。問題はこれから先だ。

それから、山本春海には妙な癖が付いた。
学校帰り、自宅の前に着く。
少しだけ扉を開ける。
家の中を見る。
それから扉を全開する。
山本春海の不審な動きを見た太宰進に「自分の家なのに、何やってんの?」と言われても、山本徹に「お兄ちゃんどうしたの?」と言われても、山本春海はその習慣を止めなかった。

夏が過ぎ、秋がきて、春になっても……

……如月いるかが東京に帰った今でも、その習慣は変わらない。
少しだけ扉を開ける。
家の中を見る。
それから扉を全開する。
あのとき廊下を走っていた君は、もういない。
君がいないのは判っているのに、今日も俺は少しだけ扉を開けて家の中を確認するんだ。
扉を開ければ、あの夏の日のように君が俺の家の廊下を走り回っている、そんな気がしてしまうから。

すきま物語小説目次  web拍手ボタン