いるかちゃんの出産

199X年某月某日倉鹿市の某老舗旅館にて、1985年度卒業生の同窓会が開催された。今更言うまでもなく、如月いるかと山本春海を中心に倉鹿修学院の黄金時代を築いた世代の同窓会である。
元鹿鳴会の太宰進、一色一馬、長門兵衛はもちろんのこと、出雲谷銀子、伊勢杏子、日向湊、大川博美といった主要メンバーも顔を揃えている。
そして話題の中心は当然、如月いるか――それは旧姓で、現・山本いるかであった。

「いるかちゃん、久しぶり!!元気してた?」
「いつ倉鹿に帰ってきたの?」
「結婚生活はどう!?ちゃんと家事してる?」
矢継ぎ早に受ける質問の数々、そして最後は
「お腹、大きくなったねえ。男の子?女の子?」
そう、山本いるかのお腹の中には命が宿っていた。

山本いるかが皆からの質問攻めに答え終わった頃に太宰進が山本いるかに尋ねた。
「春海は今日は来られないの?」
山本いるかは宴会場の時計をチラリと見て答えた。
「終わる前までには間に合うようにするって言っていたけど。」
「こんな日ぐらい仕事を休めばいいのにな。」
「ねえ。」
山本いるかは同意の返事をしたが、目は違う答えを示していた。
太宰進も山本いるかの言葉と本音の違いに気づき、目を伏せてフッと笑った。
――仕事に私情を挟まない
中学生の台詞とは思えなかった言葉も、働き盛りの今では彼の生き方を表すのにピッタリである。

同窓会も中盤に差しかかると、参加者も程よく酔いが回り始めた。その様子は、いつかの雪山ツアーのタコハイ宴会を思い出させる。
山本いるかは飲酒をせず、何度目かのウーロン茶をお代わりしていた。そしてしきりにお腹の下の辺りをさすっている。
周囲は酔っぱらいだらけなので、誰も山本いるかの様子の変化に気づかない。
そういえばタコハイ宴会の時も、如月いるかが宴会からそっと席を外した事に気づいたのはたった一人、山本春海だけだった。
その山本春海も今はいない。

しばらくして山本いるかは左手でお腹をさすったまま、その場にしゃがみ込んだ。すぐ側にいた日向湊がようやく異変に気づいた。
「いるかちゃん、どうしたの!?」
「なんか、さっきからお腹が痛くて、ずっと我慢していたんだけど。」
「ちょっと、顔が真っ青じゃないの!?なんで我慢してたのよ!?」大川博美も駆け寄ってきた。
「だって、痛くない時もあるから、そのうち治るかなと思って。」
「痛くない時もある!?」出産経験者の伊勢杏子が山本いるかに尋ねた。「痛くなる間隔は?」
「会が始まる前は10分くらいで……うっ……ちょっと待って。」
山本いるかが目をつぶって痛みをこらえる表情をした。そのまま一分間が過ぎると顔を上げた。
「今は5分くらい。」
「あんた、それ陣痛じゃないの!?予定日はいつ?」
山本いるかは苦笑いして答えた「今日。」
「バカー!!!」日向湊の怒声が宴会場に響いた。

如月、いや、山本いるかが産気づいた。
和やかな賑やかさに包まれていた宴会場は一瞬のうちに様変わりした。
「ど、どうすりゃ良いんだ!?110番か!?」
「119番だろ!?」
慌てふためく周囲を横目に山本いるかはまだ冷静だった。
「タクシー呼ぶから。じいちゃんの家の近くの産院に行くよ。う……。」
そして再び痛みでうずくまった。
うずくまっている間は気の毒なくらいに痛そうだが、痛みのない間は余裕があるようで、宴会場の料理を口に運んでいる。
「ず、ずいぶん、余裕だな。」長門兵衛が声をかけた。
「まあね。これから体力使うし。さあて、」
バイキング形式なので料理を取りに行こうと立ち上がった瞬間、山本いるかの下半身でバシャンと音が鳴り、山本いるかはその場で固まった。
「は・破水したみたい。」

会場は更にパニックになった。
山本いるかの陣痛の間隔は更に短くなり、ほとんど唸りっぱなしになった。
一色一馬は数年ぶりにムンク顔になり、長門兵衛は目が点、日向湊、出雲谷銀子は顔を引きつらせている。伊勢杏子が山本いるかの腰の辺りをさすっている。
大川博美が太宰進の方を向いて叫んだ。「太宰君、お医者さんだったよね!?」
「太宰君、助けてあげて!!」会場中の人間が太宰進を呼ぶ。
「出産は実習で見学しただけだぜ。」その上まだぺーぺーの研修医。真っ青な顔で口端が引きつっている。
「仕事で顔を出さない春海も春海だが、予定日なのに出席するいるかもいるかだっ!!」
その言葉には会場の全員が同意するであろう。
「だって初産は遅くなるって言うし、」山本いるかは息も絶え絶えだ。
「事は一刻を争う、救急車を呼ぼう。」太宰進が言った。

しかし救急車はなかなか到着しない。山本いるかが痛みに呻く間隔はみるみる短くなっている。
「春海は何をやっているんだ!?」
予定日の妊婦を外出させ、自分は仕事で顔を出さない、なんてヤツだと太宰進は呆れかえった。そして山本春海がようやく到着した。
「表に消防車が止まっていたが、なにがあった?」
「なにがあった、じゃないだろ!!」
太宰進が山本春海の襟ぐりを掴みかかり、山本春海の言葉で気づいた。「消防車?」
続けて二人の救急隊員が宴会場に駆けつけた。
「呼んだのは救急車なんだけど……。」太宰進が唖然としながら言った。
救急隊員の二人は軽く頭を下げた。
「ここの近くのホテルの宴会場で大規模な食中毒が発生しまして、救急車は全て出払ってしまいました。」
「とにかく急ごう。」
山本春海は気絶寸前の妻を軽々と抱えて救急隊員の後に続き、その後ろを太宰進が追いかけた。

消防車は救急車と違い車内は狭い。救急隊員と山本夫妻が乗るのがやっとだった。仕方なく太宰進はそれを見送ることになった。
山本夫妻を乗せた消防車は産院に向けて出発した。

「いるか、聞こえるか、いるか!?」
山本春海は消防車の中で必死に痛みに耐える山本いるかに声をかけた。その声は確かに届いているようで、山本いるかは何度も頷いた。
「遅くなってごめん。」
山本いるかは目を閉じたまま首を振った。
「予定日よりも2週間も早いな。」
「そ……それ……ううううう!!」
「いるか、しっかりしろ、息を止めるな。」
「うそ…!!ほ、ぼんとは、ぎょう。」
「え?」
「よでいびは、……!!ん……!!ぎょう!!」
「今日!?」
そう、山本いるかは同窓会の開催日が自分の予定日であることを知り、山本春海に「予定日が2週間後に修正された。」と嘘をついていたのだ。

「ぎゃーーーーー!!!」
山本いるかが最早超音波の域に達した声をあげた。その声に救急隊員が「すみません、ちょっと診せてくださいね。」と山本いるかのスカートの裾をめくった。
そして絶句。「頭が見えている。」
「は!?」山本春海。
「病院に着く前に産まれるかもしれません。」
「ふーふー。」山本いるかの荒い呼吸が車内に響いている。

 

「結局、いるかは消防車の中で産んだのか。」と太宰進。
同窓会の日から一ヶ月後、倉鹿の如月邸。おなじみの鹿鳴会のメンバーと女性陣が出産見舞いに訪れた。
「ああ。出産には立ち会うつもりだったけどね。」と山本春海。
山本いるかとその子供は壁を隔てた部屋で休んでいる。ほぼ不眠不休で人前に出られる状態ではないらしい。
「そういえば、食中毒って何だったんだろうな。」長門兵衛が独り言のような口調で尋ねた。
「但馬館の同窓会らしいぜ。」一色一馬が答えた。
「食中毒は大したことなかったらしいんだが、幹事がパニックになって救急車を呼びまくったらしい。」
「その幹事って……。」
「そう、平賀会長。」
如月邸は笑いで包まれた。


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