いつもの朝

朝は目覚まし時計が鳴る前に目が覚める。そして目覚まし時計のアラームを解除する。
布団から抜け出して大きく伸びをして、東側の障子から差し込む日差しに目を向ける。今日も天気は良さそうだ。
通学カバンの中身は昨日のうちに揃えてある。枕元にきちんと畳んでおいた制服の開襟シャツに袖を通す。
制服が冬服から夏服に衣替えしたのは、つい昨日のことだ。
冬服の学ランは、クリーニングに出してもらう為に、昨夜の帰宅後すぐに藍おばさんに渡した。
「ぼっちゃんは洗濯物を溜め込まずにきちんと出されるので、助かります。」
夏服から冬服に替わるときにも同じ事を言われた。小さい頃からの習慣だし、ことさら褒められることでもないと思っている。

家を出る時間は一年二ヶ月前よりも10分ほど早くなった。その理由は、少しだけ遠回りをするため。
遠回りをする理由は…

山本春海が如月家の前の通りを歩いていると、家の中から大きな声が聞こえてきた。
「だから、昨日のうちに準備しなさいと言ってるのよ!」
「ほら、体操着は持ったの?ハンカチは?髪の毛もちゃんととかしなさいよ!」
如月いるかのおばの声。
間髪入れずに何かを言い返す声は、おそらく如月いるかだ。
山本春海は歩く速度を少しゆるめて如月家の前を通り過ぎた。そのまま十歩ほど歩いたところで、背後でバタバタと足音が聞こえた。
「春海ー!待ってよー!」
如月いるかが通学カバンを抱えて走って追いかけている。
山本春海は呼ばれて気づいたような素振りで振り返り、自分の待ち人の姿をみとめた。
少し息を切らせた如月いるかは山本春海に追いつくと呼吸を整えた。
「おはよう、春海。」
「おはよう。」
そして二人は並んで歩き出した。

山本春海は、ときおり考える。
如月いるか。
初めて会ったときには、なんて女だろうと思った。
生意気な態度や言動もさることながら、自分と互角に渡り合ったその体力。
自分の立場をわきまえずに感情にまかせた行動。
サボり、遅刻、早弁。呆れるほどの頭の悪さ。
しかし――、
いつからだろう、気がつくと彼女の姿を探すようになったのは
いつのことだろう、隣に彼女がいないと簡単に不機嫌になる自分に苦笑したのは
――”落ちるものらしい、恋というものは”
いつか読んだ恋愛小説の一節を思い出した。

「どうしたの?春海?」
如月いるかがあどけない表情で山本春海の顔をうかがっている。
「なんでもないよ。」
「そう?」
自分はニヤけていたのか眉間にシワを寄せていたのか、如月いるかに聞いてみたかったが止めた。
てのひらを広げて腕を伸ばせば手を繋げる距離にいる彼女。
しかし山本春海はその腕を伸ばさない。
毎朝、彼女に会える時間に家を出ているのに、彼女の家の呼び鈴を鳴らすことはない。
偶然同じ年で、
偶然同じ学校で、
偶然同じクラスで、
偶然同じクラブで、
偶然同じ鹿鳴会のメンバーで
偶然がいくつも重なって、今のふたりがいた。
けれど、二人が出会ったのはもう偶然じゃない。

「今日も暑くなりそうだね。」
如月いるかが空を見上げて言う。
「うん。」
山本春海が如月いるかを見て返事をする。
「そろそろ、海開きかな。」
「そうだね。」

海に行こうよ。

言いたい言葉を飲み込んだのは、如月いるかか山本春海か。
二人ともかもしれない。


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