夏休みの計画

中学2年の夏、8月31日。
武士道水練大会を終えて、山本春海と一緒にひと休みした如月いるかが帰宅したのは、日が暮れかかる頃だった。
「ただいま!おばちゃん、腹減ったよー。」
つい数時間前に握り飯の食べ過ぎでひっくり返ったとは思えない言葉だ。
如月いるかはドカドカと玄関に上がり込み、お勝手に顔を出した。
「もうすぐ夕飯だよ。明日から学校だろ?準備できてんのかい?」
「あったりまえじゃ……」
と言いかけたが、少し間をおいて、みるみるうちに顔が真っ青になった。
「どうしたの、あんた、どっか具合でも悪いの?」
心配する叔母の問いかけに返事もせずに、ドタバタと自分の部屋に駆け込んだ。
机の上に放り投げてある通学カバンは、夏休み初日から全く動いていなかった。
如月いるかは通学カバンを開けてひっくり返し、中身を全部机の上に出した。
真新しい日記帳、数学のドリル、漢字の書き取り練習帳に真っ白な英語のノート。
「やっば〜〜い!!!」
如月いるかは、近くにあった空の手提げの紙袋を引っつかむと、その中に机の上に広げたノートやら問題集やら筆記用具やらを全部詰め込んだ。
そして疾風のように廊下を走る如月いるかに叔母が「もうじき夕飯だよ!」と声を掛けたが、「あとで!!」と言い残して、家を出た。

数分後、如月いるかは紙袋を抱えて山本春海の家の前をウロウロしていた。
勢いで家を飛び出してしまったが、さっきの今に、こんな理由で訪ねるのは恥ずかしすぎると思ったらしい。
呼び鈴を鳴らすことが出来ずに所在なげにしている如月いるかを、帰宅する山本徹が見つけた。
「いるかちゃーん!どうしたの?」
如月いるかを友のように母のように慕う山本徹は、嬉しそうに声を掛けた。
「チャンバラごっこ?…には遅いよね。」
「ああ、うん、まあね。」歯切れが悪い。
「その紙袋は?」
「あ、これは、あの…、」
山本徹は背伸びして紙袋の中を覗き込んだ。
「あーーー!!」
紙袋の中身に気づいて声を上げた。
「しーっしーっ!!」
如月いるかが、自分の唇に人差し指を当てて声が出ないように言った。
山本徹はそれを無視して、玄関の扉を勢いよく開けると、「おにーちゃーん、いるかちゃん、夏休みの宿題全然やってないんだよ!」とどなった。
家の中からは返事がない。
「や、やっぱり、あたし帰るよ。」
家を出たときの勢いはどこへやら、如月いるかはすっかり及び腰だ。
「ばーか。1人でやって半日で終わるわけねーだろ。」
如月いるかの背後から声が聞こえた。驚いて振り返ると、そこには山本春海がいた。
「おにいちゃん!」
「ちょっと外に行ってたんだよ。あがれよ。」
「で、でもなんか悪いよ。」
「今さら何言ってんだか。」
如月いるかはバツが悪そうに玄関に足を踏み入れた。

大量の宿題を前にして山本春海はテキパキと指示を出した。
「いるかは、日記と漢字書き取りを先にやれ。筆跡でバレるからな。俺は数学と英語やるから。あと何が残っているんだ?」
「じ、自由研究が…。」
山本春海は頭を抱えた。
「お前には計画性ってもんがないのか!?」
「ひぃぃぃー!!」
山本徹は自分の部屋に戻り、ノートを一冊持ってきた。
「いるかちゃん!これ、僕がつけたアサガオ観察日記。これを写しなよ。」
如月いるかは涙を流さんばかりに喜んだ。
「徹君、ありがとぉぉぉ!!」
「小学生の宿題を写すなんて、お前ってヤツは…。」
山本春海は呆れて開いた口がふさがらなかった。

如月いるか、山本春海、山本徹の3人は、藍おばさんが夕飯代わりに作ってくれたおむすびを食べながら、宿題を片づけている。
「夏休みの計画っていうのは、遊びの予定だけじゃダメなんだからな。」
「よ、予定では最初の一週間で宿題を終わらせるつもりだったんだよ。」
「へー、だったら、まさか学校のカバンを今日開けた、なんてことはないんだな?」
「も、もちろんさ!あはははは。」
山本徹が丁寧にアサガオの絵を写しながら、にこにこ笑っている。
「なんか、面白いね。こーいうのってテレビドラマの中だけだと思ってた。」
「徹は、ちゃんと宿題終わらせてから遊んだもんな。」
山本春海が左手で山本徹の頭をやさしくなでた。そして、前方に座る如月いるかをジロリと見た。
「誰かさんと違ってな。」
如月いるかは、ぐうの音も出ない。
山本家の居間の時計が22時を指したのを見て、山本春海が少し眠そうにしている山本徹に言った。
「あとは、おれたちでやるから、徹はもう寝な。明日寝坊するぞ。」
「うん……。」
山本徹はショボショボした目を手でこすっている。
「がんばってね。おやすみなさい。」
「おやすみなさい、徹君、ありがとね。」
そして居間には如月いるかと山本春海の二人だけになった。

二人だけになってから、気まずそうな沈黙が続いた。
「あのさ…、」
「なんだよ。」
山本春海は下を向いたまま答えた。
「怒ってる?」
「怒ってないよ。」
「ホントに?」
「ああ。」
ほーっと如月いるかは大きくため息をついた。
「俺のところにきたから…。」
「え?」
「なんでもねえよ、早くやれよ。」
山本春海は照れ隠しで少し乱暴な声を出した。
「なんだよ、やっぱり怒ってるじゃん。」
如月いるかは、山本春海が怒っていると勘違いして、ぶつぶつ呟いた。
山本春海は、気づかれないようにそっと顔を上げて、如月いるかの顔をチラッと見て、また視線を落とした。
「来年は…、」
「ん?」
「早めに宿題を終わらせて、海にでも行かないか。こっちきてから海に行ってないだろ?」
「海!?いいね!徹君も博美も湊も進も一馬も兵衛も銀子も、みんな誘って、みんなで行こうよ!!」
「みんな…?」
山本春海は一瞬不機嫌そうな顔をしたが、如月いるかはそのことに全く気づかなかった。

いいさ、来年の夏までには、まだ一年もある。
それまでに、二人で行きたくなるようになればいい。
それは恋に気づいた男の子の壮大なる(?)計画の始まりだった。

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